大判例

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大阪高等裁判所 昭和63年(う)1159号 判決

本籍

兵庫県洲本市本町五丁目一三一番地の一

住居

同市本町八丁目二番四号

会社役員

小田光雄

明治四三年一一月九日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六三年九月二一日神戸地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は、次のとおり判決する。

検察官 酒井清夫 出席

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人宮本清司作成の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。

論旨は原判決の量刑不当を主張するので、所論にかんがみ記録を調査して検討するに、本件は、被告人が昭和六一年度において、株式の継続的な売買により多額の有価証券売買益を得ていたのにかかわらず、同年分の確定申告に際し、給与所得及び配当所得の申告をしたのみで、雑所得である前示売買益の全部を秘匿したうえ、所得税約一億四五四万円をほ脱したという脱税事犯であるところ、被告人は手持株式の多くが値下がりし相当額の評価損を生ずるおそれがあっても、これを課税上考慮してもらえないことから、正直に申告するのが愚かであると考えたすえ、今後の株式売買資金を確保しておくとともに、損失の填補に要する資金を手元に留保しておこうという動機のもと本件犯行に及んだものであり、租税債権の確定を納税者の自主的な申告に委ねた申告納税制度そのものをその根底から否定してかかった案件というほかないこと、本件ほ脱率は約一〇二・六パーセントにのぼり、同種事案の中でも悪質な類型に属すること、この種事犯が善良な一般納税者の間にある徴税の不公平感や納税意欲の低下傾向に一層拍車をかけるものであること等、本件犯行の罪質、動機、規模・態様及びその社会的影響に徴すると、その刑責・犯情は安易に見過ごせず、してみると、被告人において本件ほ脱額を必ずしも綿密・正確に認識していたわけではないこと、比較的素直に税務調査に応じたほか、既に修正申告を終えて分割支払いを行っていること、その他、被告人の年齢など所論指摘の諸情状を斟酌しても、被告人に対し懲役一年(二年間刑執行猶予)及び罰金二三〇〇万円を科した原判決の量刑は、懲役刑の刑期、執行猶予の期間及び罰金額のいずれの点においても、破棄しなければならないほど不当に重すぎるとは考えられない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石田登良夫 裁判官 角谷三千夫 裁判官 原啓)

昭和六三年(う)第一一五九号

○控訴趣意書

被告人 小田光雄

右の者に対する所得税法違反被告事件につき、昭和六三年九月二一日神戸地方裁判所が言渡した判決に対し、被告人より申立てた控訴の趣旨は左記の通りである。

昭和六三年一二月二三日

右弁護人 宮本清司

大阪高等裁判所 第四刑事部 御中

原判決には量刑不当の違法があるので破棄されるべきである。

(一) 本件犯意について、被告人は真実の所得金額より少い額の申告を行ったことに関しての概括的意識は有していたが、逋脱所得金額が一億五、〇〇〇万円にも上ることについての認識は有しておらず、まして一億五〇〇万円もの税額を逋脱するという認識は全く有していなかったものである。

1 被告人は、本件税務調査の開始に至るまで、株式譲渡による所得金額についての計算を全く行っておらず、調査開始後、証券会社への問合せ、関係計算書類の取寄せ等によって、右金額が明らかになっていった事実が、同人の各質問てん末書によって認められる。

被告人の昭和六二年四月二三日付質問てん末書によれば、正確な資料に基かず、自身の勘で昭和六一年度の売買益は約一、〇〇〇万円程度であろうと考え、株式譲渡益を申告しなかった旨述べ、同月二四日付の質問てん末書では、証券会社に問合せたところ、株式譲渡益が一億円を越えていた旨、認め、前日の供述を訂正し詫びる旨の供述をしている。

一億五、〇〇〇万円もの、株式譲渡益があるにも拘らず、その把握が出来なかったという供述は、常識的に考えると奇異に感じられるが、被告人の株式取引の方法等を仔細に検討すると、首肯することが出来る。被告人の供述調書によれば、同人の昭和六一年度の取引回数は二〇〇回乃至三〇〇回、取引回数計算の方法に論議はあるが、被告人自身の計算によっても二四一回の取引があった事実が認められる。右回数からすると、日曜・祭日他を除いた取引日のほぼ毎日、売買を行い、更に日によっては、一日に数回の売買を行っていた事実が認められる。被告人の株式取引は、信用取引と現物取引の双方であるが、信用取引の場合は当然のこと、現物取引の場合にも現金の授受は一切行わない方法に依っている。即ち現物取引の場合、買付けた株の代金決済は、被告人振出しの小切手で行い、売却した株の代金は、証券会社から被告人の口座に振込み決済されている。加えて、質問てん末書、供述調書にも認められるように、小切手決済をすることにより買付決済日を事実上数日ずらすという、資金繰りの苦しい売買を行っていることから、口座の出入りも激しく常に残高もほとんどないという状態にあった。

被告人は、淡路連絡汽船株式会社、並に深日海運株式会社、淡路貨物自動車株式会社の各代表取締役であり、実質的にはオーナであり、本件当時右各会社の営業・経理・全般を統括し、更に他の関連会社の役員、その他の役職を行う多忙な中での、年二四一回という頻繁な株式取引であり、株式売買の記帳は一切行っていなかった。被告人が、株式売買の譲渡益を把握するには、証券会社から送付される売買報告書、明細書等を確認・集計する以外には手立てがなかったものである。又被告人の売買方法は、前述の資金繰りの関係からも、極めて短期間に利鞘を稼ぐやり方であり、一株当たりでは、僅かな利幅を一万株・五万株、場合によっては一〇万株と多量に取引する方法で、株式譲渡益一億五、〇〇〇万円を、仮に二〇〇回の売買で得たと仮定すると、一回当たりの譲渡益は七五万円であり、場合によっては売買手数料の方が利益よりも多いという状態である。売却価格から、買付価格並に売買手数料他を差引いた額が、一回の売買益であるが、被告人が、このような取引形態、頻繁な取引回数の中で、譲渡所得額を概括的にでも把握していたとは到底考えられず、質問てん末書に於ける供述が真実であることが明らかに推測される。

2 被告人は、質問てん末書に於いて、「クロス」、「乗換え」の方法により、株式売買による損得調整の方法は充分熟知していたが、昭和六一年末時点での売買益はあったとしても大した金額でないと思っていたので敢えてこれを行わなかった旨供述している。

値下りしている特定の株式を売却し損を出し、同時に同一銘柄、同株数を買付け、株式保有状況を全く変えず、損得調整を行う、所謂「クロス」、値下りしている特定の株式を売却し損を出し、他の有望銘柄を買付け損得調整を行う「乗換え」は、多額の取引を行う株式投資家に一般に知られた方法である。

被告人は、大正一二年証券会社に勤務し、昭和五年独立して小田株式店の経営を始め、昭和三〇年には同店を法人組織とした淡路証券株式会社を設立し、昭和四一年の廃業に至る迄、代表取締役として証券取引業務に従事して来たものであり、右「クロス」乃至「乗換え」の方法により、合法的に所得税を減額する方法を充分熟知していたものである。大蔵事務官山下恵郎の調査によれば、被告人の昭和六一年末現在の手持株式の評価損は七、八四二万四、三四〇円ということである。「クロス」乃至「乗換え」は、電話一本と売買手数料の支払いで簡単に行うことが出来る。被告人がもし、昭和六一年度の取引期日内に、一億円を越える譲渡益が存在する事実を認識していたとすれは、「クロス」乃至「乗換え」によって、合法的に、株式による所得金額を減額出来たわけであり、営々努力し、功なり名を遂げた今、所得税逋脱犯という不名誉な立場で法廷に立つ事態に断じて至っていなかったと確信する。

3 本件逋脱の態様は、株式売買による譲渡益の過少申告ではなく、全く無申告である。長男、次男の名義による売買を行っていながら、調査の当初からこれを抗弁とせず、現物取引、信用取引を区分けするため、単に名義を借用したにすぎず、総て被告人自身の取引であった旨供述し、長男らもこれに添う供述を行っている。又調査に於いては、必要経費等の控除も抗弁せず、その他何らの詭弁も弄しておらず、とかく争点の多い所得税逋脱事犯には珍しく、全く争いのない自白調書となっている。被告人が、逋脱所得額を把握しており、それが相当の額に上るとの認識を有していたとすれば、被告人の知識・地位から云って、かかる杜撰な不正行為に及ぶことは到底考えられないところである。右は何れも、被告人に真実の所得額より少い所得金額の申告を行ったことについての概括的認識があったとはいうものの、その額がそれ程のものではないと誤信していたことに起因するものである。

4 被告人は、検察官に対する供述調査に於いて、昭和六一年中の売買利益が一億数千万円に及ぶことを概ね認識していたかの如く述べているが、右は売買資金の一部を会社からの流用金で賄っていたことを追及され、右に問題が波及することを恐れ、検察官の意に添う供述を行ったもので、事実に反し、その証明力には疑いがある。

(二) 被告人が、額はともかく所得の過少申告についての概括的認識を有しながら敢えて不正行為を行った動機・事情は以下の通りである。

一般に株式投資家が行うある時点の損得は、現実に得た利益及び手持株式の評価益と、現実の損害及び手持株式の評価損の差引計算によってなされる。現実に一〇万円の利益を得ても、二〇万円の評価損があれば、一〇万円の損と観念的な計算を行う。評価損の方が多ければ、現実の利益がいかに多くとも、損をしたと言う感じを拭えないものである。被告人は、その供述調査に於いて、株式売買によって得た利益については、課税されるが、評価損に対しては課税上の配慮がなされないことに不満を感じ、正直に申告・納税するのが馬鹿らしかった旨、並に自身の将来のこと、被告人が営々築き上げた関連会社の資金繰りが悪化した時に、融通出来る金を手元に残したい気持があったため、過少申告した旨供述しており、これらが被告人が本件不正行為を行った偽らざる動機・理由である。

(三) 被告人が、秘匿した所得は、株式譲渡益一億五、三七六万九三円であるが、これについては既に修正申告を終えて分割支払いを行っている。仮に右金額について、本税・重加算税・延滞税を計算してみると、昭和六三年八月末日現在の計算で、合計約一億五、一〇〇万円となる。加えて、本件により原判決の罰金刑に処せられると、利得が無いというに止らず罰金額についてはマイナス計算となる。被告人自身が不正行為を行った報いと云われればそれ迄であるが、この点既に充分な社会的制裁を受けたというべきである。

(四) 被告人は、明治四三年生まれ、年齢七七才である。小学校を五年で中退し、家を離れ住込で働き、以来筆舌に尽し難い苦労と努力の末に独力で現在の地位を築き上げたのである。これ迄何らの間違いも起さず、功成り名遂げて、有終の美を飾ろうとする時期に、自らの過ちに起因するとは云え、社会的信用を傷つけ、刑事被告人として法廷に立つ被告人の心情は察するに余りがある。本件は、回復し難い心の痛手として被告人を終生苦しめることになり、この意味でも既に充分過ぎる制裁を受けたというべきで、反省の情も顕著である。

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